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ビジネスの視点2013年7月号
技術の融合が成熟市場に新たな可能性を生む(しまうまプリントシステム株式会社・社長 永用万人氏)
「成熟市場」だから、「飽和市場」だから、売れないのは仕方がない───
そう諦めてはいないだろうか。市場の伸びが見込めない業界にあって、めざましい成果を上げている企業は少なくはない。
自社の強みや技術力をよく把握し、できること・やるべきことを見定めながら、独自の発想と工夫によって様々な壁を乗り越え、新たな可能性を切り拓いたトップの挑戦を追った。
私どもが鹿児島県日置(ひおき)市に初めてラボ(現像所)を建設したころですから、いまから3年ほど前だったと思います。竣工後、新たに稼働するラボの戦力を採用すべく、求人に応じていただいた数10名を面接しました。そのうちの1人が、私の言葉を耳にしたときの驚いたような、あきれたような、何とも形容しがたい表情が、いまも忘れられません。
「稼働し始めたら近いうちに、毎月、500万枚くらいは出力できる体制を整えたい」
そう言う私に、その女性は奇妙な生き物でも見るような、不思議そうな眼を向けていました。「500万枚」という数字が、いかにも素人っぽい誇大な目標に聞こえたようです。
彼女は、少し前まで同業大手の鹿児島工場で働いていたのですが、写真プリント(DPE)業界の市場そのものが縮小するなかで、工場の閉鎖が決まり、数100名の同僚とともに職を失いました。彼女の話では、大手でさえピーク時に月産200万枚に達するかどうか、という程度だったそうですから、私の示した数字を非現実的なものと受け取ったのも、無理はありません。ちなみに、彼女はいま、そのラボの責任者として、月産1,300万枚を実現してくれています。
海外市場のデータが示す国内市場の将来性
私が、ネットプリントショップ「インターネットプリント」の運営会社を設立して、この写真プリント業界に参入したのは、2007年でした。ネットプリントとはオンラインDPEサービスのことで、お客様はわざわざ専門店に出向かなくても、インターネットを利用して現像を発注することができます。現像された写真プリントは、後日、郵送などでお客様のもとに届くしくみで、私どもでは独自に開発した梱包容器を用い、最短で当日発送が可能です。翌年春、サービスを開始すると、おかげさまで会員数は順調に増えて、その年の夏に1万人を超え、秋に2万人を突破して、年末には4万人に達しました。
その後、運営会社から新設分割するかたちで「しまうまプリントシステム」を設立したのが10年で、同じ年、鹿児島県にラボを建設して、事業の拡大を図りました。ことし5月末時点の会員数は、約63万人です。
ご承知のように、写真プリント業界はデジタルカメラが急速に普及した1990年代半ばを転機として、以降、市場を縮小してきました。途中、やや盛り返した時期はあったものの、基本的に、いまもその傾向は変わりません。斜陽産業と表現しても、大きく間違ってはいないでしょう。
しかし、たとえ市場全体が縮小していても、そこに成長のチャンスがないわけではありません。既存の技術やサービスだけではじり貧なのかもしれませんが、最新のテクノロジーや新たな付加価値を融合させることで革新が生まれ、需要を掘り起こすことができる。実際、写真プリント業界におけるネットプリントは、伝統的な写真印刷技術とITが結びついて誕生したサービスです。現在、国内で出力される写真プリントの総需要は、およそ65億枚ですが、ネットプリントはその10%を占めるまでに成長してきました。
とはいえ、わずかに10%です。私が参入を検討していたころは、数%でしかありませんでした。そのデータしか知らなかったら、私は参入しなかったと思います。しかし、北米と韓国のデータを見ると、いずれも当時、ネットプリントが市場のおよそ50%を占めていました。日本におけるネットプリントの将来性を確信したのは、これらのデータのおかげでした。
そもそも、私が写真プリント業界に注目するようになったのは、前職でコンビニ用マルチメディア情報端末の開発と運用に携わった経験がきっかけになっています。
84年、大学を卒業した私は、地元の建設会社に就職しました。その後、外食関連会社を経て、90年に上京し、通信サービス会社に転職しました。その会社から独立してシステム開発会社を創業したのは、4年後のことです。
しばらく経ったころ、コンビニ用マルチメディア情報端末の共同開発に参画することになりました。コンビニの店内に設置されていて、ゲーム・音楽配信や各種チケット予約などができる機械です。そして、写真プリントもできる。このとき、システム開発の担当者として、写真プリントに関する基本的な事柄を知りました。
徐々に専門的な知識も増えて、業界の構造や動向がわかってくると、自分なりの考え方も生まれてきて、ときには素朴な疑問もわいてきます。おそらく、それは私が門外漢だったからでしょう。業界の常識や慣習を知らなかったからこそ、先入観のない発想ができたのかもしれません。
そのうち、最新の情報システムを活用した会社が、まだ存在しないことに気づきました。それが実現すれば、面白い事業ができるのではないか。私にとっては未知の領域である写真プリント業界のなかで、システム開発における自分のノウハウを活かせば、勝機を見出すこともできるかもしれないと考えたわけです。情報収集に努めて、企画を練り、現在の私どものビジネスモデルにつながる原型ができていきました。