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闘うトップ2014年1月
創業時の新鮮な気持ちを受け継ぎ浜松らしい「地ソース」をつくりたい(鳥居食品株式会社・社長 鳥居大資氏)
地元産野菜や果実を使い、いまも木桶で熟成させた手づくりソースを開発する鳥居食品の鳥居大資社長。
容器にはガラス瓶を用い、小売店の協力も得て回収に取り組み、環境保護にも努めている。
病気に倒れた先代の跡を継いで以降、地産地消のユニークな商品開発が注目される鳥居社長が、その歩みと経営観を語る。
わが国では単に「ソース」と呼ばれることの多いウスターソースは、野菜・果実、砂糖、食塩、香辛料、食酢を原料とする。それらの組み合わせやバランスを変えることで味の違いを表現しやすいからなのか、実は多彩なソースメーカーが各地にあり、地域ごとに異なる消費者の嗜好(しこう)に応え続けてきた。その数は、日本ソース工業会の会員だけでも84社。非会員を含めると、少なくとも100社以上に及ぶと見られ、各社がそれぞれ独自の「地ソース」を製造している。浜松市の鳥居食品も、そうしたメーカーの1つである。
同社は、1924(大正13)年の創業。浜松市を中心に「トリイソース」のブランドで親しまれてきた。だが、商習慣の変化や不況の影響によって、売上の過半を占めてきた業務用ソースの需要が減少。社員の高齢化が進み、設備も老朽化するばかりだった。そうしたなか、2003年、2代目の鳥居謙一氏が動脈瘤(どうみゃくりゅう)破裂で倒れ、以後、療養生活を余儀なくされる。急遽(きゅうきょ)、入社した長男の鳥居大資社長が実質的に家業を継いだが、同社が存続の危機に直面していることに変わりはなかった。
当時の社員は12名。40代の1名を除くと、父の次弟と三弟をはじめとする全員が60代だった。さらに、原料を煮込む鍋は小さく、小ロットにしか対応できない。原料を熟成させる桶(おけ)はまだ木桶で、しかもそれは創業以来、使い続けてきたものだという。そして、ソースの充填(じゅうてん)装置も年代物で、プラスチック容器には未対応の瓶詰め専用であった。
戦力は想像以上に弱体化していたが、あるとき、鳥居社長はその裏側にひそむ父の深慮(しんりょ)に気づいた。設備の償却はすべて終わり、手形や借入もなかったのである。それは廃業も視野に入れた経営者の覚悟と、長男に負担を残すまいとする周到な親心を物語っているように思えた。
鳥居社長は苦境を打開すべく、新商品の開発に取り組んだ。企画したのは、地元の農産物と手づくりにこだわったソースで、取引先である遠鉄ストアの協力も得て、使用済み瓶の回収にも対応。弱点と思われた要素は、「多品種少量生産ならではの地産地消」「木桶を使用した伝統的な製法」「循環型容器による環境保護」など、消費者に対する訴求力の高い特徴へと転換された。
現在、みずみずしい果実感を活かした『オムライスをおいしくするソース』や静岡産みかんを使用した食酢『みかんde酢』など、鳥居社長が中心となって考案した商品が、地元の消費者や観光客から支持されている。