-
闘うトップ2013年12月
音が聞こえるメロディーロードで交通安全の啓発に役立ちたい(株式会社篠田興業・社長 篠田静男氏)
1953年、篠田社長は別海(べつかい)町尾岱沼(おだいとう)に生まれた。72年、美唄(びばい)市の専修大学北海道短期大学に進学。土木科に学び、74年に卒業すると、標津町に帰郷して篠田興業に入社した。
同社は、父の正雄氏が71年に創業。創業前、正雄氏は別海町の缶詰工場で工場長を務めていたが、個人事業として野付(のつけ)半島で砂利運搬業も行なっていたという。当時はまだ運転免許をもつ人が少なく、第二次世界大戦中、自動車部隊に所属していた正雄氏の運転技術が重宝(ちょうほう)されたらしい。やがて、その事業が篠田興業へと発展していく。
創業後の短期間こそ下請けに甘んじたものの、堅実な経営が信用を得て、近隣に同業者が少なかったこともあり、同社は早くから元請けとして地歩を築いてきた。だが、80年、正雄氏が62歳で鬼籍(きせき)の人となる。母光子氏がリリーフに立ち、その後、兄の順一氏が3代目を継ぐが、バブル崩壊後の90年代に入ると、業績は低迷し始めた。篠田社長は専務として順一氏を支え続けたが、公共事業で成長してきた体質は、なかなか変えることができなかった。
母や兄と相談を重ねた篠田社長は、せめて兄弟の共倒れだけは避けるべく、2000年、別会社を設立して中標津(なかしべつ)町でコンビニ経営に乗り出した。家族の協力を得て、間もなく経営は軌道に乗り、いずれはその経営に専念するつもりでいたが、苦境に立つ家業を兄に押しつけるようなまねはできない。必死の思いで新規事業の種を探していた04年、手掛けたのがメロディーロードであった。
だが、その商品化に成功した矢先の05年、順一氏が急逝する。57歳の若さだった。篠田社長は4代目を継いだが、そのときひそかに同社を清算する事態も覚悟していたという。
◇ ◇ ◇
メロディーロードを商品化して間もないころ、ありがたいことに、あるテレビ番組で紹介していただいたんですね。それがきっかけで、全国から問い合わせを頂戴しました。ただ、大変に僭越(せんえつ)なのですが、そのほとんどをお断わりしてきたんです。お断わりしていなければ、いまごろ少なくとも80か所くらいは施工していたと思います。でも、できませんでした。そう簡単に施工してはいけないものなんです。
音楽が聞こえて楽しいだけでなく、メロディーロードにはいくつかの副次的な効果があると考えられています。
たとえば、交通事故の予防です。法定速度で走らないとうまく聞こえませんから、自然とスピードが抑えられるうえ、眠気防止にもつながる。刻まれた溝により路面排水が向上し、凍結対策にも効果が期待されています。
また、地域にゆかりのある曲を施工すれば観光資源になり、町おこしにも少しは役に立つでしょう。
とはいえ、何ごとにも光があれば影もあって、当然ながら、いいことずくめではないんですね。最も懸念されるのが、騒音問題です。メロディーロードから聞こえるのは摩擦音ですから、クルマの中だけに聞こえるわけではありません。クルマが走るたび、周囲にも摩擦音が響くことになります。もし、近くに人が住んでいたら、どんな名曲だって騒音です。実際、つい先日、群馬県で同様の道路が周辺住民の苦情によって撤去されるとの報道がありましたが、私どもではそうした不幸な事態だけは絶対に避けたいと考えてきました。やむなく施工のご依頼をお断わりしたケースのほとんどは、そういう理由からです。