-
闘うトップ2013年4月号
ケアシューズ「あゆみ」でお年寄りの歩行を助けたい(徳武産業株式会社・社長 十河孝男氏)
十河社長は、1947年、香川県の農家に生まれた。長男だったが、農業の厳しい現実を目の当たりに育ち、安定した職業を志向するようになる。66年、地元 の志度(しど)商業高校(現志度高校)を卒業すると、香川相互銀行(現香川銀行)に入行した。69年、徳武産業の創業者である徳武重利氏の長女と結婚。 「堅実な職業の男性のもとへ」という義父母の意向もあったという。
転機が訪れたのは、結婚から1年半後のことだった。手袋製造会社を経営する夫人の叔父から、韓国に新設する縫製工場の工場長への就任を請われた。いつしか 挑戦的な仕事に魅力を感じ始めていた十河社長は心を動かされたが、周囲は猛烈に反対する。だが、ただ一人、「やってみたら」と賛成してくれた夫人に背中を 押され、十河社長は覚悟を決めた。71年、叔父の会社に転職し、夫人とともに渡韓。反日感情が底流する異文化のなかで滞在は4年に及んだが、3日に1日は 徹夜するほどの猛烈な働きぶりで業績を拡大し、帰国時には従業員数が3倍以上に膨らんでいた。
その後、入れ替わりに渡韓した叔父に代わり、専務に就任した十河社長が同社の実質的なトップを務めたが、84年、義父から徳武産業の後継を懇望されたこと が再び転機となる。悩んだ末、十河社長が承諾することを伝えると、義父はその20日後に心筋梗塞で倒れ、5日後に亡くなった。十河社長は、37歳で2代目 を継いだ。
同社は、57年に綿手袋縫製工場として創業された。のち、スリッパの製造に転じ、74年から大手靴メーカーの協力工場としてバレーシューズ(学童用上履 き)の製造を開始。安定的な縫製技術で堅実な経営を続け、十河社長の就任後、89年ごろからはポーチとルームシューズの製造を本格化させた。