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  • 闘うトップ2014年4月号

    ブランディングの重要性に着目 ハンコの素人がナンバーワンに(株式会社ハンコヤドットコム・社長 藤田優氏)

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ネット環境の変化で倍々ゲームで成長

そんなとき、ネットショップの元祖で、マスコミにも注目されていた傘販売の「心斎橋みや竹」さんの存在を知ったのです。すぐ宮竹和広社長に話を聞きに行き、技術的なこともいろいろ教わりました。宮武社長に感化されたところは大きかったですね。「インターネットには無限の可能性がある。人の生活を便利にしてもっと幸せにできる。ネットを自分の一生の仕事にしたい」と思いました。

ただ、そのころ困ったのは父の目でした。「そんなものが商売になるか。パソコンやる暇があったら店に立て」とよく怒鳴られた。父に見つからないよう、いつも店のカウンターの下にパソコンを隠してコソコソと打っていたくらいです。

               ◇ ◇ ◇

インターネットが普及してパソコンがネット端末として使われるようになると、環境が一変し、注文が急増する。99年5月には月間売上100万円を突破、半年もしないうちにそれが倍になった。1人ではこなせなくなり、人を雇うようになって2000年には法人化した。その売上の伸びに驚いた父は一転して後押ししてくれるようになる。銀行を回って融資を頼み込み、1,000万円の資本金を用意してくれた。

藤田社長は資本金のほぼ全額を使って印鑑彫刻機を導入する。単に文字を彫るだけでなく、印影作成のルールに則(のっと)って同じ文字をつくらせない機能をもつ機械だ。それまでは受注のつど問屋に発注し、でき上がったハンコを受取りにいって代引きで発送するという手順をとっていたため、受注から発送まで1週間くらいかかっていた。ネット通販はスピードが命である。社内で彫ることで翌日発送が可能となり、「短納期」を謳(うた)い文句にできるようになった。売上はさらに上昇し、年商は1億円、3億円と順調に伸びていく。

だが、年商5億円を前にした05年ごろ、大きな転機が訪れる。労務トラブルとクレームが多発し、藤田社長がその対応に追われるようになったのだ。

               ◇ ◇ ◇

注文をどんどんいただけるようになってアルバイトも増やしていきました。当時、創業メンバー数名に学生アルバイトが20名くらいいたでしょうか。そこで問題が生じてきたのです。早い話が私は飲食店と同じ組織をつくっていた。飲食店は店長が1人いて、あとは横並びのアルバイトというのが普通です。当社も、社長とそれ以外の人という単純きわまりない組織でした。担当の違いがあるだけで、部もなければ課もない。

そのうえ、飲食業はこと労務管理においてはグレーな部分の多い業界です。労働時間なんてあってないようなところがある。高校時代から飲食業界にいたため、その感覚でマネジメントしていたんです。社員やアルバイトは普通の会社に勤めたと思っているのに、社長は飲食業のマネジメントをする。当然、働く人から不満が出ます。しかも、その不満に全部私が1人で対処していた。社員は年下ばかりで何の権限も与えていませんでしたから。せっかく雇ったアルバイトが2、3か月で辞めていき、社内の雰囲気はどんどん悪くなっていきました。

そうなれば、作成間違いや商品違いなど仕事上のミスやトラブルが起こりがちになります。クレームも増えましたが、その対応を代わってやってくれる人はいない。クレーム電話では「社長を出せ」が常套句ですけど、当社はそれを言われる前に私に電話が回ってきたのです。お客様の元まで頭を下げにいくこともしょっちゅうで、そうこうするうちに、精神的にキャパオーバーになりました。

社長の仕事ってなんでこんなにしんどいんやろうと、朝、会社に行くのがつらくてつらくてしようがなかった。いまから考えたら完全にうつの症状でしたね。



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(株)名南経営コンサルティング
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