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闘うトップ2014年6月号
ネットショップ支援サービスで宮崎に1,000人の雇用を生み出したい(株式会社アラタナ・社長 濵渦伸次氏)
濵渦社長は1983年、宮崎県に生まれた。父は金融関係の企業に勤務するサラリーマンだったが、自身はいつしか漠然と起業を志すようになったという。2004年、都城工業高等専門学校電気工学科を卒業し、大手複合機メーカーのリコーに就職。神奈川県に移り住んだが、夢を諦められず、3か月後に退職して帰郷した。
翌05年、宮崎市内にカフェバーを開業。2名のスタッフとともに不慣れな飲食店経営に挑んだが、自身の放漫経営により、わずか半年後に閉店。多額の借金を背負った。
だが、再起をめざしてアパレルショップやブライダル用アルバム制作など、様々なアルバイトを経験し、借金の返済に努めた。ほぼ2年後には借金を完済。同年、都城高専時代の仲間とアラタナを創業した。
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お恥ずかしい話ですが、カフェバーをやっていたときは経営のまねごとをして満足していたんだと思います。接客しているうちに自分も酒を飲んで、気が大きくなると「おごり」だと言って大盤振る舞いをするのですから、起業家を気取ってはいても、まともな経営者とは言えませんよね。
原価管理もずさんで、そもそも貸借対照表や損益計算書の意味すら、よくわかっていませんでした。あっという間に資金繰りが苦しくなって、スタッフへの給料の支払いも滞(とどこお)るようになってしまったんです。
オープンからわずか半年ですから、当然、世間体も気になります。22歳の若造にとっては莫大な額の借金で、いっそ自己破産して、どこか遠い街に移り住んでひっそりと暮らせば、楽だったのかもしれません。でも、そのまま終わるつもりはありませんでした。猛烈に働けば返済できない額ではないし、失敗したからこそ学んだこともある。もう1回、事業にチャレンジして雪辱したいという気持ちが強くなりました。皮肉ですが、失敗してようやく経営者になれたのかもしれません。
私がカフェバーを失敗して痛感したことは、3つありました。
1つは、会計の大切さですね。もともと私は技術系の人間で会社の数字には疎(うと)かったんですが、経営者である以上、そういうことは言っていられません。借金返済のためにアルバイトに励んでいたころ、時間を見つけては会計の入門書を勉強したり、通信教育で会計のしくみを学んだりしました。
ちょうどそういう時期だったと思いますが、父に助けを求めたことがありました。「自分で責任を取れ」というのが父の基本的な姿勢なんですが、あるとき、1冊の本をくれたんです。『稲盛和夫の実学』という本でした。この本は、大きな刺激でしたね。稲盛さんも技術者のご出身ですから、僭越(せんえつ)ながら、そういう点でも共感するところがあって、会計の大切さを再認識させていただいたような気がします。