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闘うトップ2013年3月号
雇用の確保でモチベーションを高め、「脱子会社」「脱赤字」を実現する(株式会社日本レーザー・社長 近藤宣之氏)
1944年、近藤社長は東京都に生まれた。父は陸軍軍医で、第二次世界大戦中は満州や南方戦線に従軍。所属部隊の大半が戦死するような危機も、奇跡的に切り抜けたという。近藤社長の人生観には、父の影響が大きい。
慶應義塾大学工学部に在学中、ドイツ交換留学生として欧州滞在を経験し、68年、同大学を卒業。同年、日本電子に入社した。
その後、ソビエト連邦(当時)駐在を経て、帰国後、わずか28歳で労働組合執行委員長に就任。共産主義の実態を目撃した経験から、左翼的労働運動の限界を 確信し、民主的な労使関係の構築に努めた。その矢先、日本電子が放漫経営によって倒産の危機に陥る。オーナーを含む経営トップの退陣と引き替えに、全社員 の3分の1に当たる約1000名の人員整理を受け入れる苦渋の決断で、従業員側の代表として経営の自主再建に力を尽くした。
84年、労働組合の委員長を退任すると、アメリカ法人の再建を命じられ、副支配人として渡米。87年に支配人、89年には取締役アメリカ法人総支配人に昇 格したが、93年に帰国するまでの間に、ニュージャージー支社の閉鎖にともなう全スタッフの解雇とボストン支社の人員削減を経験する。アメリカ法人の黒字 化に成功した実績は高く評価されたものの、非情な人員整理を任務とするなかで、安定的な雇用の確保こそ経営者の役割と痛感するに至った。
帰国して間もない近藤社長に与えられたのは、またしても子会社の再建という困難な任務だった。