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闘うトップ2012年12月号
『獺祭』を世界に広めて日本の農業にも貢献したい(旭酒造株式会社・社長 桜井 博志氏)
ようやく先代からの「負の遺産」を解消できたころで、経営のさらなる安定をめざして地ビールの製造とレストラン経営に進出したのですが、これが大失敗でした。
ご承知のように、酒造業では杜氏(とうじ)という特殊な集団が重要な役割を果たしてきました。ところが、杜氏も高齢化が進んで、数自体が年々、減り続けていましたから、近い将来、私どもの若い社員が酒づくりに取り組まなければいけない時代がくる。
それを見据えたとき、経営における最大の問題は酒づくりの仕事がない夏場をどう乗り切るかなんですね。そこで、夏場に最盛期を迎える地ビールの製造に乗り出し、お客様にそれを提供する場としてレストランもオープンしました。もっとも、レストランについては、観光名所のすぐそばですから、観光客の誘致に少しでも貢献できれば、という気持ちもありました。
ところが、オープン当初はにぎわったものの、間もなくお客様がほとんどこなくなってしまった。あっという間に撤退を余儀なくされて、将来への布石を打つどころではなくなってしまいました。
杜氏に見限られたことで自由な発想の酒を実現
さらに、悪いことは重なるもので、そういう状況を見て、杜氏が去ってしまいました。清酒以外の事業に手を出した酒蔵に、愛想を尽かしたというのでしょうか、もう旭酒造に未来はないと判断されたのかもしれませんね。振り返ってみても、このころが最も苦しい時期だったように思います。
でも、杜氏に見限られたことで、結果的に私どもは杜氏に頼らない酒づくりを実現することになります。皮肉な話ですが、もしこのとき杜氏が私どもを見捨てなかったら、現在の旭酒造も『獺祭』もなかったと思う。社員杜氏がつくったから、『二割三分』という、ある意味で酒造業の常識から自由な発想の酒も生み出せたと思うんです。
杜氏がいないことで生じる不利は、たしかにありました。しかし、実際に社員杜氏だけで酒づくりに挑戦してみると、技術的な面では、ほとんど問題ないことがよくわかりました。杜氏がいなければ酒はつくれない、というのは、もはや幻想なんですね。
若い社員がほとんどですから、経験不足は否めません。研究を重ねる過程は、決して簡単ではありませんでした。しかしながら、社員杜氏が実力において劣るわけではないことは、生意気な表現かもしれませんが、『獺祭』が証明してくれていると思っています。