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闘うトップ2013年5月号
町工場であり続け、次世代に職人の技を伝えたい(ダイヤ精機株式会社・社長 諏訪貴子氏)
中小企業の集積地として知られる東京・大田区で半世紀近く、自動車部品用ゲージを製作するダイヤ精機の二代目・諏訪貴子社長。いま、最も注目される女性経営者の一人で、彼女を「町工場の星」と呼ぶ声も少なくない。諏訪社長が、会社を継いだ経緯と独自の経営観を語る。
ダイヤ精機の諏訪貴子社長が乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負に挑んだのは、2008年9月のリーマンショックによって、存亡の危機に追い込まれたからだった。
自動車部品向けの治具(じぐ) (機械加工や溶接の際、工作物を固定する装置)を主力としていた同社は、その直前の08年7月期、3億4000万円を売り上げていた。だが、大幅な受注減で週の半分は仕事がないほどの状況に陥り、業績が急激に悪化。翌年、年商は1億7000万円と半減した。諏訪社長は、生産体制の見直しを決断。治具からゲージへ主力の転換を図ったが、それはハイリスクな経営判断だった。
ゲージとは寸法の測定具で、その使用により製造ロスが抑えられるため、機械加工の現場では不可欠とされている。自動車業界では、部品ごとに専用の特注品を導入するのが通例であった。マイクロメートル単位(1マイクロメートル=1000分の1ミリ)の精度が要求されるが、同社はそれを手作業で実現する研磨技術をもつ熟練工を擁(よう)していた。
職人の技術が生み出すゲージは高付加価値製品で、従来、主力としてきた機械生産の治具のように、価格競争には巻き込まれにくい。しかし、1000分の1ミリを指先で感知する熟練工の技術は伝承が難しく、従業員の育成には時間もかかる。また、小さなミスも廃棄につながりかねないため、材料費が利益を圧迫する危険性も高まる。
それでも、諏訪社長はあえて技術力を前面に押し出して、自社の存在感を示す道を選んだ。数百万円を投じて生産機械を増設し、売上の2割程度だったゲージの生産を6割に拡大。さらに、世間の不況を好機と見て、技術の伝承を見据えた新規採用に注力した。自身は1年間、報酬を月額2万円に抑え、貯蓄を取り崩しながら業績の回復まで耐え凌(しの)いだ。
そうした積極的な挑戦が奏功し、間もなく業績は上向いて、翌年以降、毎年、15%以上の増収に転じた。12年は、2億9000万円まで回復している。