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闘うトップ2013年5月号
町工場であり続け、次世代に職人の技を伝えたい(ダイヤ精機株式会社・社長 諏訪貴子氏)
私が2代目を継いだとき、戸惑いながらも、ふと冷静になって、周囲の様子をうかがってみたんですね。すると、もしかしたら自分はラッキーなのかもしれない、と思えてきました。
当時、私は32歳です。経営を教えてくれるはずの先代も、もういません。しかし、わからないことがあれば、素直にそう白状して、周囲のどなたかに尋ねればいいんですね。幸いにも、それが許される年齢と環境だと気づいたんです。もし、私が50歳で継ぐことになるとしたら、「わからない」なんて口にできないかもしれません。
何ごとも考え方しだいで、世の中には絶対に悪いこともなければ、絶対によいこともない。そのことを実感したとき、少し気が楽になりました。
同じように、先代が残してくれた会社が「ダイヤ精機」であったことも、私にとってはラッキーでした。 「ダイヤ」という社名には、少し女性的な印象もあります。継いだときは20数名で、いまは37名ですが、少数精鋭であることに変わりはなく、おかげさまで、お客様に必要とされる技術力をもっています。小さな町工場だからこそ味わえる、ものづくりの醍醐味もあります。本心から、町工場でよかったと実感しているんです。
もちろん、大企業には大企業のやりがいがあって、最終製品をつくる喜びは格別でしょう。でも、町工場にも大企業とは別の役割があって、大企業と町工場が互いに補完しあう協力関係は、日本のものづくりの強さを端的に表わしているのではないでしょうか。大きな石だけでなく、小さな石もあるから、強固な石垣ができるのでしょうね。
次の世代に私どもの技術を引き継いでいけるよう、私どもは今後も町工場であり続けたいと思っています。