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  • 闘うトップ2013年6月号

    伝統的な製法で品質にこだわり納豆を大阪の食文化にしたい(小金屋食品株式会社・社長 吉田恵美子氏)

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▲発酵室に重ねられた商品。右手前は『竹姫納豆』。容器には、地元大東市産の間伐竹を使用。大阪産業大学との産学連携で開発された 小さいころは、納豆屋の娘といじめられもしましたし、両親の大変さも見てきたので、会社を継ぐなんて考えたこともありませんでした。亡くなった父も、古い考え方の人でしたから、娘に任せようとは思わなかったはずです。でも、私が跡を継がなければ会社をたたむしかないという状況のなかで、社長を継ごうと決意しました。父がつくった会社を潰したくない一心でした。
とはいえ、思い出したくないくらい悲惨な状況でしたね(笑)。父あっての小金屋食品で、私は何も教わっていませんでしたから、納豆についても経営についても、素人同然です。納豆づくりに必要な用語も業界の慣習もちんぷんかんぷんで、基本中の基本から勉強しないといけません。セミナーや異業種交流会にも積極的に参加して、少しでも見聞を広げたいと必死でした。
その一方で、業績はもう大変な状況です。お恥ずかしい話ですが、とにかくお金がない。水道料金が無事に引き落とされるかと心配するほどの状態で、会社の預金残高を見るのが怖くて仕方ありませんでした。父の代から累積した赤字も大きく、私が継いだ07年当時、年商の倍くらいはあったと思います。
ただ、そのころの私にとって最もつらかったのは、お客様に商品を知られていないことの惨(みじ)めさでした。

工場で直売会を開催し、直接、消費者に訴えかける

父が品質に妥協しなかった姿を間近に見てきましたから、その信用を失ってはいけないと、母もスタッフも真剣に、丁寧につくってくれた商品です。でも、思うように売れなくて、せっかくの商品が在庫として眠っている状況が続きました。すると、母が小売店さんや問屋さんなど、お取引いただいている会社に「いかがですか」「お願いします」って、電話をかけるんです。
その様子が、娘の私から見ると、どうしようもなく惨めなんですね。味わってさえいただけば、もっとお客様に喜ばれてもよいはずなのに、お客様に手に取っていただく機会が少ないばかりに、母が卑屈に見えるほどの低姿勢でお願いを繰り返さなければならない。そういう姿を見るたび、非力な自分が情けなくて、涙を抑えられませんでした。
母がそういうお願いをせずに済む商品をつくらなければいけない。お慈悲にすがるようにして扱っていただくのではなく、お客様から「欲しい」と望まれる商品を一刻も早くつくらなければいけないと、心底から思いました。そういう悔しさを経験したから、今日までどうにかやってこれたような気がしています。



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