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トップリーダーたちのドラマ2011年12月号
債務超過寸前から立て直した元気のよい営業出身社長(アサヒ飲料・社長 菊地史朗氏)
七年連続売上増『三ツ矢サイダー』の復活
菊地は02年に、アサヒビール福島支店長から執行役員常務・営業本部長として飲料に来たのだが、記者はその少し前にたまたま福島へ出張があり、旧知の菊地 を訪ねたことがあった。そのおり、菊地が同じフロアにある飲料の支店のほうを振り向いて、こう話したことをなぜか覚えている。「うちの支店はみな元気に やっているのだが、飲料の社員に元気のないのが気になるんだ」と。もちろん、その時点で菊地が飲料へ移る話などあるはずがない。
飲料の社員に元気がなかったのも無理はない。この当時、飲料は赤字が続き、「私が来たとき、もう一期赤字だと債務超過になるところだった」と言う。
菊地はいかにも道産子らしくおおらかで元気のよいタイプで、名門北海高校の野球部に誘われたくらいのスポーツマンであり、馬力もある。営業の責任者としてはもってこいのタイプ。
飲料に移ると、「商品戦略では『三ツ矢サイダー』『ワンダ』『十六茶』の三本柱を核として、ぶれずにやっていこうと。また赤字脱却まで当面は、本社がリーダーシップをとる形の営業体制をとるぞと宣言、それで突っ走ってきた」のである。
菊地は、1974年にアサヒビールに入社。以来、主として営業、あるいはマーケティング部門を歩いてきた。スーパードライが大ブレークした時期、マーケ ティング部門にあってその躍進を支えた。飲料では多少のぎくしゃくが当初あったようだが、そうした自信と経験とが上記の方針を貫徹させたのだと言ってよか ろう。
なかでも光るのが、1884(明治17)年「平野水(ひらのすい)」の名前で発売された「三ツ矢サイダー」の健闘、躍進である。
「10年前、『三ツ矢サイダー』も炭酸飲料は肥満のもとだ、健康に良くないなどと言われて、売上が減少傾向を辿(たど)っていた。しかしわれわれにとって は大きな財産であり、このブランドの復活なしに弊社の復活はないと考えていた。ではどうしたらいいのか。で、味も、デザインも全部変えよう。また炭酸の濃 度を変え、さらには糖分やカロリーをゼロにしようと。やがて、世間では炭酸の見直しが進み、健康にいい、認知症の予防に効果があると言われるようになっ た。そうしたことから、昨年まで七年連続売上増を記録し、ここ数年、炭酸飲料市場が伸びる牽引車になってきた」
コーヒーの「ワンダ」も、ブレンド茶の「十六茶」も、「朝」をキーワードにした商品を投入、再度の上昇軌道を描くことに成功する。加えて「六甲のおいしい水」の買収。
「水だが、国産と輸入ブランドのうち、ここ数年輸入ものは伸び悩んでいる。震災後、急激に需要が伸びたのも国産ブランド。というのも乳児用粉ミルクを溶く にしても、お茶を入れるにしても国産の軟水が適しているからだ。うちの場合、主力ブランドがともに国産。その点で、多くの消費者に支持された」