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トップの生き様2013年11月号
葛藤と相克が人間力を養い、求心力を生む 先代を乗り越える社長の器(株式会社コバック・社長 小林憲司氏)
経営の悩みは父に対する悩み
端的に言えば、私がFC展開を志向したのは3つの理由からだった。
1つは、私どものサービスを全国のお客様に届けたかったからだ。「車検センター新豊田」は年々、お客様の数を増したが、評判を聞きつけて県外からわざわざお越しになるお客様が目につくようになった。お客様の利便を第一に考えるなら、少しでも近い場所でサービスをご提供できるよう窓口を増やすべきだと考えたのである。
2つめは、整備工場の近代化に貢献したかったからだ。家族経営の零細な町工場が多く、いわゆる「3K」の代表的な業種であるだけに、後継者難を解消するためにも業界に新しい風を吹き込みたかった。
もう1つは、おこがましい表現だが、伸び悩む整備工場を繁盛店へと導きたかったからだった。「車検センター新豊田」には、噂を聞きつけて全国から整備工場の経営者が見学に訪れ、その数は日に日に増していた。私どもが蓄積したノウハウを独り占めするより、FC展開を通じて公開したほうが、整備工場の経営の安定につながる。多くの経営者に喜んでもらえるなら、私どものやり甲斐も大きいと思われた。
われながら、思い切った非常識な提案であることは認識していた。だが、父の反対はいままでにないほど激しく、「何を寝ぼけたことを言うのだ」と罵声を浴びた。
父が反論する主な根拠は、過去、すでに同様の挑戦が行なわれており、それが大失敗に終わっているというものであった。しかも、失敗したのは私どもより経営基盤の安定した会社であり、成功させるにはそれ以上の資金や人材、そして全国的な知名度が求められる。それは、実にもっともな反論だった。
しかし、私も引き下がるわけにはいかない。「車検センター新豊田」の実績に手応えを感じ、日本一の車検センターになる夢を抱いたからだ。その実現のためには、FC展開しかない。父に言い負かされないよう、言葉を尽くした。だが、そう簡単に説得できるはずもなく、しばらくは言葉の応酬が続いた。そして、最後には、父は議論を打ち切るようにこう言い放った。
「思い上がるな。おまえより立派な経営者は、世の中には大勢いるんだ」
私は怒りで言葉を失い、その場は決裂した。
その後、しばらくは父との間に気まずい空気も流れたが、幸か不幸か、両親とは同居しているため顔を合わさずにはいられない。そのうち、再び言葉を交わすようになり、激しいやり取りになることもあったが、どれくらい議論を重ねたころだったか、根負けした父が折れた。しかも、渋々ながら認めるというのではなく、以後、積極的にFC加盟店の拡大に協力してくれるようになった。
実は、このほかにも父とは様々な場面で衝突を繰り返してきた。父の存在は煙たく、なぜそうまでしてことごとく私の足を引っ張るのかと、ひそかに涙を飲んだこともある。私にとって、経営上の悩みとは父に対する悩みであった。
だが、父との間にそれほどの相克を経験しながら、訣別(けつべつ)することはなかった。それは、社員や私の家族に対する責任からだと思う。だが、あるとき人生の先輩の話を聞いていて、腑に落ちた。すべては親の愛情に発していたのである。
父は、私が憎くて反対するわけではない。罵倒も叱責も、私の失敗を黙過してはならないという親心に発したものなのだ。そう気づいたとき、私は父の言葉や意思をすべて受けとめようと思った。受けとめたうえで、自分の誤りに気づけば正せばよく、信念を貫くべきときには貫けばよい。そう考えるようになって、気が楽になった。もっとも、父は私の豹変ぶりに調子が狂ったようで、当初は何を言っても「はい」と答える私をいぶかしげな表情で見つめていた。
父は、96(平成8)年、会長に退いた。一昨年には自社株をすべて私に譲ったが、78歳のいまも頑健で、週に何日かは会社に顔を出してくれている。その親心は、まだまだ衰えそうにない。