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組織のつくり方2014年4月
飛躍の環境・舞台は整っている! いまこそ、新規事業(日本電鍍工業株式会社・社長 伊藤麻美氏)
倒産寸前に追い込まれ新規事業を模索
2000年春、私が前任者から社長を引き継いだとき、会社は疲弊(ひへい)しきっていました。創業者である父が1991年に亡くなると、父の部下だった幹部社員たちが社長を継いできたものの、実質的には経営者不在という異常事態が続いていたのかもしれません。
実際、大手時計メーカーが円高などの影響で生産拠点を海外へ移転するなか、その指定工場であった私どもはしだいに仕事を失っていきましたが、新たな領域に活路を求めようとはしませんでした。むしろ、ますます時計関連に固執するようになって、10億円も投じて本社工場を新設する迷走ぶりでした。
当然、業績は振るわず、年々、赤字を重ねてしまいます。帳尻を合わせるにはコスト削減が手っ取り早いと、大幅な人員削減も断行しました。そんな経営方針が従業員の信頼を得るはずもなく、貴重な技術をもっためっき職人にも退職者が相次ぎ、最盛期には200名近かった従業員は50名ほどにまで減ってしまいました。それでも業績は好転せず、赤字から脱することはできませんでした。過去の遺産のおかげで、かろうじて債務超過だけは免(まぬ)かれていたものの、金融機関や取引先からは信用を失い、社内は殺伐(さつばつ)とした空気に支配されました。
そんな状況のなかで社長に就任した私は、会社の再建にあたって、絶対に人員削減だけはしないと心に誓いました。生前の父の姿が心に焼きついていたからでしょうか、生意気にも、従業員の生活を守るのが経営者の務めであると信じたからです。そうなると、赤字から抜け出すには、売上を伸ばすしかない。時計関連以外の分野に進出して、新たな売上の柱をつくるほかありません。ただし、私自身、自己破産すら覚悟していたくらいですから、お金はありません。私は、従来の設備と技術をそのまま転用できる新規事業を模索することになりました。
とはいえ、当時の私はめっき加工のしくみすら理解していない素人で、右も左もわかりません。まずは私どもの強みがどこにあるのかを把握しなければと思って、作業着に着替えて現場に入り、実際の作業に従事しました。そして、めっき加工を初歩から勉強するうちにわかってきたのは、私どもの技術が比較的、高いレベルのものであるということです。
1956(昭和31)年の創業時、父が開発しためっき加工技術は「高速度合金厚付け金めっき法」というもので、私どもの事業の核心的な技術である点において、いまもその重要性に変わりはありません。これは、ひとことで言ってしまえば、通常の加工より厚く、しかも均一な厚みでめっきを施す技術です。めっき加工は薄いほうが容易で、高級感が求められる時計の場合、摩耗(まもう)しづらい「厚付け」技術は重宝されました。
また、自社開発したオリジナルのめっき液を使用していることと、ニッケルを使用しない「アレルギーレスめっき」を手掛けていることも、私どもにとって大きな強みでした。
そうした特徴を活かすことに加え、新たに取り組む事業は景気の動向に左右されにくいことも重要だと考えました。そして、できれば複数の分野に参入して、リスク分散をはかりたい。どういった方面にアプローチすべきか、全力で模索し続けるなかで、私は自分自身に置き換えて考えることにしました。もし、私が経済的に苦しくても、支出を削りたくないのは何かと想像したのです。おそらく、誰もが思うのは「医療」「健康」でしょう。そして、女性なら「美容」です。
早速、関連する企業をリストアップして片端から電話をかけ、営業に努めました。また、可能なかぎり展示会にも顔を出して、出展する企業に名刺を配り歩きました。どんな小さなお仕事でもいただきたいと、必死でした。
そうして、会社が存続できるかどうかの瀬戸際に追い詰められながらお客様の新規開拓に奔走しているとき、ある医療器具メーカーからお仕事をいただくことになりました。開設したばかりのホームページを通じて、問い合わせをいただいたのがきっかけでした。