厳選記事

  • 経営理念2012年11月号

    凡事をまっとうして地域・顧客の支持を得る “当たり前”をたゆまず貫く会社(NPO法人日本を美しくする会 相談役 鍵山秀三郎氏)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

従業員の荒んだ心を掃除の力でなごませる

ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、私が本格的に掃除に取り組み始めたのは、カー用品卸のローヤル(現イエローハット)を創業し、1人、2人と従業員が増え始めたころですから、ずいぶん古い話です。もちろん、そのころになって突然、始めたわけではなく、遡(さかのぼ)れば子供のころ、身をもって掃除の大切さを教えてくれた両親に行き着きます。私にとって、掃除は遺伝子に組み込まれた性分(しょうぶん)ぶんなのかもしれません。

わがことながら、当時のローヤルはひどい状態でした。高度経済成長のまっただ中ですから、創業して間もない無名の零細企業にきてくれるのは、なかなかに手強い人材ばかりです。営業先では相手にされなかったりして、つらい思いもするでしょうから、自然と気持ちが荒んでくる。粗暴な振る舞いも日常茶飯という有様でした。

しかし、彼らも生まれついての荒くれ者ではないはずです。環境が整い、何らかのきっかけさえ掴むことができれば、本来の穏やかな心を取り戻すことができるのではないか。彼らを見て、私はそう感じました。ところが、具体的にどうすればよいのかがわかりません。謙遜でも何でもなく、私は本当に取り柄のない男で、経営者でありながら、彼らの心を動かす弁舌の才もなければ、文才もない。周囲を感化するような人格的な影響力もありません。窮(きゅう)した末、思いついたのが掃除でした。

ai_1211_2どんな人でも、チリひとつない職場を不快には感じないでしょう。磨き込まれた床やトイレを見れば気持ちがよいはずで、そうした環境のなかで働けば、やがて心も穏やかになるのではないかと期待したのでした。何より、従業員の働きに対して待遇で報いてやることのできない経営者として、それが私にできる唯一の罪滅ぼしだったのです。

それ以来、私は毎日、掃除に励みました。バラックのような事務所の床やトイレはもちろん、事務所前の道路は何軒も先まで掃き清め、社用車も毎朝、水洗いします。やがて社用車が増えて手に負えなくなると、休日に家内と2人の子供も動員して洗車しました。

また、自社だけでなく取引先の小売店にも押しかけて、掃除をさせてもらいました。名古屋、大阪、仙台と営業所が少しずつ増えると、出張のたびに掃除するようになりました。

ところが、従業員は誰も手伝ってくれませんでした。手伝うどころか、床を磨く私を平然とまたいで出勤してくる者がいる。トイレに這いつくばっている私を横目に、用を足す者もいました。正直に言えば、そうした彼らに内心、寂しさを感じたことは一再にとどまりません。しかしながら、掃除をやめてしまおうとは思いませんでした。彼らに手伝ってほしくて始めたわけではないからです。

結局、従業員が社内の掃除を手伝ってくれるようになるまで、10年かかりました。毎朝の道路掃除も手伝ってくれるようになったのは、その5年後です。しかし、それらにすべての従業員が参加してくれたのは、さらにのちのことです。そのとき、私が1人で掃除を始めてから30年近い時間が経っていました。

ボロ自転車での行商から始まったローヤルは、創業から36年後の97年、東証一部に上場しました。翌年、65歳になるのを機に私は社長を退いて相談役になり、75歳を迎えた2008年には相談役からも退き、前述のNPO法人に活動の軸足を移しました。本当は、こちらについても身を退かせていただきたいところなのですが、わが国の現状を見るにつけ、少しでもお役に立てる間はご奉公すべしと、考えをあらためた次第です。現在でも、年間100件くらいは講演などに声をかけていただいています。

言うまでもなく、イエローハットは掃除によって大きな会社へ成長したわけではありません。ただし、掃除が会社の成長に何らかの貢献を果たしたことは事実だと思います。もし掃除なかりせば、往年のローヤルは心の荒んだ従業員たちとともに、たいした社会貢献もできず、時代の変遷のなかに埋もれていたかもしれない。掃除は、たしかに従業員の心を変えました。それは、掃除が「凡事」だからです。



≪ 関連書籍 ≫

『実践 経営実学 大全』
(株)名南経営コンサルティング
関連書籍
  • 社員を幸せにしたい 社長の教科書
  • 言いわけばかりで動けない君に贈る33のエール
  • 「売らない」から売れる!どこにでも売っている商品を「ここにしかない」に変える5つの法則
  • ランチェスター戦略「小さなNo1」企業
  • 安部龍太郎「英雄」を歩く
このページのトップへ