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経営理念2012年11月号
凡事をまっとうして地域・顧客の支持を得る “当たり前”をたゆまず貫く会社(NPO法人日本を美しくする会 相談役 鍵山秀三郎氏)
凡事徹底による気づきが人を変える
とはいえ、人はそう簡単に変わるものでもありません。いつでも、誰でも簡単にできるからこそ、凡事を徹底するのは難しい。その要諦(ようてい)は、3つに大別されると思います。
第1は、打算をもち込まないこと。当然ながら、掃除は儲けるために行なうわけではありません。誰かに評価されるためでもない。もし、そういう打算が隠れていたら、不思議なもので、掃除という行為そのものが一気に卑(いや)しくなります。本当に不思議なのですが、妙な下心を潜ませている人は、身体中から卑しさがにじみ出てくる。そもそも、打算に支えられた掃除は長続きしないでしょう。
私は、よい社風をつくるために掃除を始めました。もちろん、動機は人それぞれで構いません。地域を美しくするためでも結構、単に清々(すがすが)しい気持ちを味わうためでも結構。見返りをひそかに期待するような、哀れむべき心持ちさえなければ結構です。
第2は、「始める勇気」をもつこと。いかによいことも、誰かが最初の第一歩を踏み出さないかぎり、何の意味ももちません。以前、読んだ本に印象深いエピソードが載っていました。
何世かの市川團十郎が、若い弟子を連れて停車場で汽車を待っていると、屈強な男たちが寄ってたかって荷物を満載した貨車を押していたそうです。やがて、そろそろと貨車が動き始めると男たちは去って、残った一人が楽々と貨車を押していった。
「あれをごらん。最初はたくさんの力が必要だが、いったん動き始めたら、あんな重い貨車だって1人で動かせる」
團十郎は、弟子を振り返ってそう言ったといいます。挑戦を恐れない勇気の大切さを弟子に覚らせたかったのでしょう。会社において第一歩を踏み出すのは、他でもない経営者です。
第3は、「続ける根気」をもつこと。掃除をすれば売上が上がるわけでも、事務所がきれいになった日から従業員が生まれ変わるわけでもありません。どれほど毎日、つらい思いで掃除を続けても、表面上は何も報われず、何も変わらない。それでも続けるのです。続けることによってのみ、凡事は非凡に変わります。
ただ、言うは易しで、どんなに意志の強固な人でも挫折の危機は何回となく訪れるでしょう。とくに、私が経験したように従業員の心に響かない間は徒労感に襲われますが、啓蒙的教育者として知られる森信三先生は、教育についてこう話していらっしゃいます。
「教育とは、流水に文字を書くような果てない業である。だが、それを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならない」
この言葉を知ったとき、私は身の震えるような感激を覚えたものです。
「凡事徹底」の素晴らしさに目覚めて掃除を始める時期に、早いも遅いもありません。よいと感じたら、明日といわず今日から始めてください。無理せず、できる範囲で構いません。賛同者がいなくても、たった1人で構いません。その小さな1歩が、やがて大きな力に変わるでしょう。