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経営理念2012年8月号
商人としての生き方を導いてくれた父の教え(メーカーズシャツ鎌倉株式会社・社長 貞末良雄氏)
周囲と衝突した倉庫係時代
書店で探しても、適切な書籍は見あたらなかったが、1冊だけ、洋書が目についた。『フィジカル・ディストリビューション』という書名は、「物的流通」とでも訳されるのだろうか。おぼつかない英語力で必死に読み進めると、従来、商品の保管場所としか認識されなかった倉庫を物流拠点ととらえるロジスティックスの概念が示されていた。
その本を徹底的に読み込んで、VANが抱えていた課題の解決に役立とうと考えた私は、以後、商品管理にコンピュータの導入を提案したり、商品と資金の流れをフローチャートで示して、仕事の重複や非効率な業務を改善点として建言するようになった。
だが、そうして社内に波風を起こし、あるときは職分を超えて意見する若造が歓迎されるはずがない。連日のように上司や同僚と衝突し、他部署からは煙たがられた。
昨年、2005年に亡くなった石津先生の生誕100年を記念して、500人近いVAN関係者が集まった。私も実行委員の1人として参加したが、懐かしい仲間が顔を合わせてあの時代を回顧し始めると、攻撃的だった当時の私がいまだに話題にされ、その場が恩讐を超えた笑いに包まれる。
若く未熟だった私を思うと、当時の上司や同僚たちに対して、あらためて申し訳なく思わないでもないが、同時に父の忠告がしみじみ思い出される。たしか、VANに入社した翌年だったと思う。私が周囲と摩擦を起こすことを見透かしていたのか、尖(とが)っていた私を諭(さと)すように戒(いまし)めた。
「目端(めはし)がきくだけ、おまえは時に狡猾(こうかつ)で、生き馬の目を抜くようなことも平気でやる。でも、それではいけない。男はバカになれ。バカになれたら、大商人になれるかもしれん」
互いに酒を飲みながら、「たしかに親父の言う通りだ」と私は思った。だが、そうは思いながらも、なかなか実践することはできなかった。
その年、父は67歳で世を去った。アイビーの聖地に挑む不肖の息子に、いまなら何と諭すだろうか。