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キラリと光るスモールカンパニー2013年7月号
光造形の草分けとして鋳造にも取り組みメイドインジャパンの底力を世界に発信(株式会社ジェイ・エム・シー・社長 渡邊大知氏)
「日本発のものづくり」にこだわる
24歳でボクシングに見切りをつけ、結婚。その前に父親に会いたいと渡邊社長は思い、探すとすぐに居場所がわかった。
「16年ぶりの再会だったので、互いに大いに盛り上がりました。父は損害保険代理店業務を中心とした会社を1人で経営しており、盛り上がった勢いで、その会社を手伝うことになったのです(笑)」
99年、25歳のとき、渡邊社長はJMCに入社。当時、業務のごく一部として外注先にものづくりを委託する仕事をしていた。それが、光造形の研磨作業だった。もともと渡邊社長は保険事業には興味がなかったことから、ものづくりを担当することになり、営業や検品、梱包などを1人で請け負った。そのうち、外注では飽き足らず、内製化することにして、2000年に中小企業支援の助成金を借りて4,000万円もする光造形機を購入した。
「当時、光造形を理解している人はほとんどいませんでしたが、面白い技術ですし、いずれ需要も伸びていくに違いないと思ったのです」
渡邊社長はホームページを作成して、光造形サービスを宣伝すると同時に、見込み客にDMを送り続けた。顧客は少しずつ増え、4年後には1億円の売上になった。社員も少しずつ採用し、7人に増えた。
だが、ビジネスが軌道に乗り始めると、渡邊社長と父の亀裂は修復できないところまで広がってしまったという。
「父とは方針が合わず、毎日のように口喧嘩をしていました。結局、父が身を引いて、僕が当社の全株を買い取ることになったのです」
こうして、2004年に渡邊社長は代表に就任した。考え方が合わなかった社員3人が退職したが、JMCは渡邊社長のもとで生まれ変わった。
05年、愛知万博のトヨタグループ館で展示するロボット開発に参加。06年には、たまたま知り合った鋳造会社の3代目と意気投合し、会社を合併。その経営者だった鈴木浩之氏は現在、JMCの専務として鋳造部門を統括している。
渡邊社長は「いいものをつくることが楽しい」と言う。メイドインジャパンの再構築を図りたいと、「いくぞ、メイドインジャパン!」というキャッチフレーズを掲げ、日本発のものづくりにこだわっている。
そのために、製造業に関心をもつ子供たちを育てようと、今秋にはスマートフォンなどからデザインを送って、3Dプリンターで造形するサービスを安価で提供する予定だ。
いまでも「何よりおカネが大事」と言って憚(はばか)らない渡邊社長だが、その背後には「日本のものづくりを安売りしない」という決意があるに違いない。