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キラリと光るスモールカンパニー2012年8月号
“奇跡の生物”ミドリムシの屋外大量培養・製品化を世界で初めて実現(株式会社ユーグレナ社長・出雲充氏)
退路を断って研究に邁進する
02年頃から培地の研究を始めていたが、ミドリムシに関する基礎データが不足していた。出雲社長は、改めてどちらの道を選ぶか、自身の将来について考えた。銀行員のほうが順風満帆の人生を歩めるだろうが、そこで下した決断は逆だった。
「ミドリムシを捨てて銀行に身を埋(うず)め、私が課長になった頃、『ついにミドリムシの大量培養に成功』とニュースで知るなんて悔しいと思ったんです。私がやらなくても、きっと他人が実現するに違いないと思っていましたから。それなら、二股をかけることはやめて、本気でミドリムシに取り組もうと決意しました。裸一貫になれば女神もほほえむはずだと思ったんです」
03年、東京三菱銀行を退職して退路を断った。両親は息子の行く末を心配したが、出雲社長が覚悟を示したことで、周囲のほうが変わっていった。次々と協力者が現われ、研究者を紹介してくれたという。
ユーグレナ研究会というミドリムシ研究に携わる研究者団体とも学生の頃から接触しており、当時、会長だった中野長久(よしひさ)教授(現・大阪府立大名誉教授)が出雲社長の決断を知ると、「いまが日本でミドリムシ研究を続けるか、止めるかの境目だ。会員は出雲君に協力してほしい」と全国の研究者に呼びかけてくれたという。
これが追い風になった。05年のことだ。会員は積極的にデータを提供してくれ、研究が飛躍的に進んだ。こうして05年末には、期待通りの培地の開発に成功した。
だが、出雲社長の闘いはまだ続く。05年にユーグレナを設立するが、注文は一向に入らない。商社や食品メーカーなどを回るが、「他社が採用したら、うちも採用する」と判で押したような答えが返ってきた。
ようやく日の光が差したのは、08年のことである。伊藤忠商事の担当者が熱心に社内を説得し、ミドリムシの取扱いが決まった。次いで、新日本石油(当時)と日立プラントテクノロジーがミドリムシ由来のバイオ燃料からジェット燃料を開発する共同研究に合意した。これが日経新聞で報道されると、注文や共同研究の問い合わせが殺到したという。
行政も強い関心をもち、経済産業省が全面的に協力。ジェット燃料の研究や、沖縄電力と提携した火力発電所の排出ガスを使ったミドリムシ培養の実証実験への支援も決まった。12年からは、東京都水道局とのミドリムシを使った下水処理の共同実験も始まっている。
いまや、ユーグレナは引く手あまたの人気ぶりだ。火力発電所で二酸化炭素を吸収して成長したミドリムシを養豚や養鶏の飼料に用いれば、食料自給率の向上にもつながる。
出雲社長は2030年までに本格的な「ミドリムシ社会」の仕組みを国内に構築し、発展途上国の支援に乗り出したいと考えている。「ミドリムシで皆を元気に」という願いを世界で実現する日が待ち遠しい。