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ビジネスの視点2014年6月号
智者は前轍を踏まず! 失敗こそ成功の糧(徳武産業株式会社・社長 十河孝男氏)
2年間に及ぶ不在が赤字決算を招く
失敗の発端は、その2年ほど前まで遡さかのぼる。93年、私は老人介護施設を経営する友人の依頼を受け、専務だった妻とともに、「お年寄りが転倒しない靴」の開発に取り組み始めた。現在、私どもの主力商品となっているケアシューズ「あゆみ」である。
発売当初こそ苦戦したものの、やがて口コミなどを通じてお客様のご支持をいただくようになり、「あゆみ」はおかげさまで累計出荷数が800万足に迫る人気商品に育った。その開発に苦戦を強いられながら、私は自ら赤字の種を蒔(ま)いていたことになる。従来の事業を社員に任せたまま、ほとんど顧(かえり)みることがなかったのだ。
そのころ、私どもは旅行用スリッパとポーチ、ルームシューズを事業の三本柱としていた。ただ、それぞれに毎年、1億円前後を売り上げていたものの、いずれもがOEMビジネスで、業績は発注元であるお客様の動向に左右された。加えて、長年、取引を続けるうち、年商の4割近くを通販会社1社に依存するいびつな体質にもなっていた。そうした状況に危機感を抱き、自社ブランド商品の開発を模索していた私は、友人からの依頼に奇妙な縁を感じて、引き受けることに決めた。
「お年寄りが転倒しない靴」の実現がかなりの難題であり、その開発にあたっては多くの高齢者の生活実態調査が不可欠な点や医療・福祉といった分野の専門家からアドバイスを仰ぐ必要があることなどを考えると、当然、私が自ら取り組むべき課題だった。しかも、日常業務を続けながら片手間に取り組んで、2年や3年で成果が現われるとは、とうてい思えない。時間も労力も、すべてを注ぎ込むくらいの覚悟で専念しなければ、成功はおぼつかないことを直感していた。
その場合、従来の三事業を託しても差し支えがないのは、専務であり、株主でもある妻だった。創業者の長女として家業とともに育った妻なら、零細な製造業の悲哀も身に染みて知っている。私の留守を頼むには最も適任だったのだが、妻には新商品開発に協力してもらわなければならなかった。高齢者の調査や試作品のモニタリングなどでは、女性の存在が不可欠だったからだ。私は、3名の若手社員を抜擢(ばってき)して、それぞれに1つずつ事業を託すことにした。3名が競い合うようにして担当事業を牽引(けんいん)する姿を期待したのだった。
この決断自体、決して間違ってはいなかったと思う。人選にも狂いはなかったと、いまも信じている。当時、彼らはまだ30歳前後と若かったが、とにかく仕事が好きだった。忙しければ残業も厭(いと)わず、仕事に対して自主的に関わろうとする意欲が感じられた。だが、彼らを信頼してすべてを任せきったのは、明らかに私の失敗であった。「任せきった」と言えば聞こえはよいが、実態は「放ったらかし」だったのだ。新商品開発に掛かりきりで仕方がなかったとは言え、その状態が2年間も続いたのだから、迂闊(うかつ)のそしりは免(まぬか)れない。
私が異常事態に気づいたのは、「あゆみ」の開発に成功し、発売のめどが立った95年の春先であったと思う。業績が厳しいことはうすうす察していたが、恥ずかしながら、7月の決算を控えて財務諸表を作成する過程で、ようやく赤字への転落を知る体(てい)たらくだった。