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ビジネスの視点2014年6月号
智者は前轍を踏まず! 失敗こそ成功の糧(徳武産業株式会社・社長 十河孝男氏)
資金繰りに不安を抱え社員の士気も低下する
そのときの様子を思い出すと、いまも慚愧(ざんき)に堪(た)えないのだが、初めて経験する赤字決算に憤激した私は、それまで既存事業を放置してきた責任を棚に上げ、抜擢した3名の社員を叱った。「なぜ、こんな業績になるのか」「なぜ、もっと早く報告しなかったのだ」と、厳しい口調で彼らを問い詰めた。
だが、いまとなってはつくづく思う。なぜ、彼らの悩みを理解してやれなかったのか、と。
私がどれほど忙しくても、週に1時間くらいなら時間を割くこともできたはずなのだ。彼らから定期的に仕事の進捗状況を確認したり、直接、悩みを聞き出していれば、適切なアドバイスができたかもしれない。そうしなかったのは、経営者として怠慢(たいまん)ではなかったか。彼らは実態を隠していたのではなく、多忙な私を気遣って、声をかけることすらためらっていたのではなかったか――。
のちに私は、そうして自問しながら、わが不明を恥じた。だが、当時の私は厳しい現実を受け入れることができなかったのか、自分自身の至らなさには考えが及ばなかった。そして、業績を建て直すためには何をすべきか、当面の手立てを必死に考えた。
とはいえ、期末までに残された時間が2か月間もない段階では、もはや手の施しようはない。前年度比30%減という売上で、その年の決算を終えた。
売上が激減した理由は単純なものではないが、その大きな要素の1つは、私どもがお客様の変化に対応できなかったことだと思う。OEMビジネスは、ひたすらお客様の指示に従うだけの受動的なビジネスではない。市場環境の変化を見据えて、お客様の事情に対応した商品を供給しなければならない。お客様と密接に連携しながら、互いの成長を図るビジネスと言えようか。
しかし、残念ながら、私どもはお客様との意思疎通を欠いてしまった。その結果として生じたお客様との間の乖離(かいり)が、そのまま売上の激減となって現われたのである。自己変革に努めることなく、前例を踏襲(とうしゅう)して、ただ従来通りの仕事を続けるだけでは売上を維持できないという初歩的な教訓だった。
私の不在が招いた赤字は、収入が支出を下回るという単なる帳簿上の計算結果を意味するものではなかった。その最も大きな影響は、金融機関からの信用を失なってしまったことだろう。もちろん、義父をはじめ先輩たちが黒字経営を続けてくれたおかげで、融資を断わられるような事態には至らなかったものの、それまでのようなスムーズな資金調達が難しくなったのは事実だった。明らかに、私どもの経営に対する金融機関からの評価は厳しくなった。
また、資金繰りに不安を抱えてしまったことで、翌年度の昇給も賞与も見送らざるを得なかった。もっとも、それではあまりに申し訳なく、賞与だけは支給することにしたが、実際に手渡すことができたのは「寸志」程度の額でしかなかった。賞与さえ満足に支給できない経営者がいかに情けないか、ほとんど消え入りたい気持ちで痛感した。
そうした状況にあっては、士気も上がらない。社員の沈んだ表情を目にする日も増え、どこからともなくギスギスと不快な不協和音が聞こえてくることもあった。そして、それからしばらく経ったころ、私の留守を預かってくれた3名の若者たちが相前後して会社を去っていった。私の失敗が彼らの人生を狂わせてしまったのではないかと思うと、いまも悔やまれてならない。
ただ、私にとって唯一と言ってもよい救いは「あゆみ」の存在だった。
実は、その年、「あゆみ」の製造機械を発注していた工場が阪神大震災により被災したのだが、どういうわけか、「あゆみ」の製造機械だけは奇跡的に難を免れた。その僥倖(ぎょうこう)に運命的な力を得たこともあり、既存事業の再建に努めた結果、翌年は対前年比150%近くまで売上が伸びた。
その後、売上が拡大する「あゆみ」と入れ替わるようにしてOEMビジネスは縮小させ、やがて私どもはケアシューズメーカーとして新たな道を歩み始めることになる。