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ビジネスの視点2014年6月号
智者は前轍を踏まず! 失敗こそ成功の糧(徳武産業株式会社・社長 十河孝男氏)
目を向けるべきは決算書に表われない部分
決算書とは、経営者の通信簿だといわれる。いまから19年前に味わった屈辱によって、私はその言葉の重みを全身で実感し、以後、経営上のあらゆる数字に対して真摯(しんし)に向き合うようになった。その意味で、赤字を招いた失敗は、私に経営者としての基本を再認識させてくれる貴重な教訓だった。
だが、私はそのとき、それ以上に大切なことを学んだような気がする。誤解を恐れずに言えば、それは通信簿としての決算書が、表層的な事実でしか経営者を評価し得ないことである。
たしかに、決算書は経営者の手腕を白日(はくじつ)のもとにさらすが、いくら数字を詳細にたどっても、自社がどのようなお客様と、どういう関係を築いているかはわからない。欠品を招いた物流面の不備もわからなければ、営業機会を逸することで生じた損失も見えない。そして、当然ながら、社員の誰がどんな成果を上げ、どんな悩みを抱えているかも、うかがい知ることはできないのだ。
しかし、そうして数字に表われないところにこそ、経営者が絶対に見落としてはならない大切なものが隠れているのではないか。決算書が口をつぐむ部分にこそ、経営者は目を向けるべきではないのか。そう気づいたのは、「あゆみ」の開発に専念するあまり、結果として社員を置き去りにしてしまった苦い失敗のおかげであった。
以来、私はできるだけ社員の1人ひとりと話し合い、それぞれが個別に抱える問題を共有したいと考えてきた。「経営計画書」の作成は、そうした気持ちをしくみとして実践するものだ。これは、社員の1人ひとりが1年間の仕事を計画し、それを個別の「経営計画書」にまとめるものである。進捗状況を定期的に意識することによって、自分の役割や課題、責任と権限などを認識するのがねらいである。
この「経営計画書」をもとに、毎月、社員と私が面談をする。社員の数が増えれば、1人ひとりに割くことができる時間も少なくなるだろうが、社員と私が定期的に直接、対話し、理解し合うことに大きな意義があると信じている。
程度の差はあるものの、多くの会社が失敗を経験する。そのとき、経営がおかしくなってしまう会社と苦境を糧(かて)に成長する会社の違いは、経営者が失敗を「必然」と考えることができるかどうかにかかっていると思う。偶然としかとらえなければ、おそらく何も学ぶことはできない。だが、成長に不可欠な必然と受けとめることができれば、失敗による苦しみは、それを克服できる者だけに与えられた特権とさえ思えるのではないだろうか。
失敗の渦中にあえぐとき、人は闇夜がいつまでも続くと思いがちだが、明けない夜はない。いつか必ず清々(すがすが)しい光が差すものである。